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代表理事
堅田 雅子
障がいのある子どもを授かったことをきっかけに、同じ状況の母親たちが集まり、親の会を立ち上げました。障がいのある子どもたちを取り巻く環境を理解することで、ニーズと制度の間に隔たりがあることを実感し、自分たちで解決策を模索し始めました。当時、障がいのある子どもたちが安心して過ごせる場は学校と家しかなく、母子共に引きこもってしまうことが多くあったことから、学校の休み期間中に過ごせる心地よい居場所を作ること、障がいの種別や障がいの有無を問わないインクルーシブな環境を作ることなど、具体的な取り組みをおこないました。
障害のある子どもとその保護者を中心に、関係者全体(医療、教育、福祉、地域など)が一堂に会し、子どもたちの問題を共有・検討する会を開催。その後、相談専門員の配置と担当者会議の開催を実現。さらに、医療的ケアが必要な子どもが保護者なしで学校に通う(単独登校)ために取り組む会を立ち上げ、山口県で単独登校を実現させました。
NPO法人化した親の会はさらに社会的な立場を持ち、山口市の施策に関する委員や国の科研費調査協力委員、県民活動のアドバイザーなどを務めるようになりました。身近な人と悩み相談ができる保護者同士のピアカン、意思伝達がうまくいかない方々に有意義であるDX化を見据えたプログラム、ストレス緩和のためのスヌーズレン、有事の際にもサポートできるためのサポートブックのデジタル化など、障がいのあるみなさんが社会の一員として、また、一人ひとりが自分らしく輝ける未来を目指して数々のことを考え行動し、実現させてきました。そして、令和5年には、ここにある一般社団法人ゆうわを立ち上げ、ノーマライゼーションからソーシャルインクルージョンへと向かう一歩を踏み出しました。
東京都出身、東京都立青山高校卒業、早稲田大学政経学部卒業、 山口大学大学院経済学研究科修了(経済学修士)1990年山口県宇部市にIターン。
環境、女性、教育などの市民活動を起点に1995年から2020年まで宇部市議・山口県議・宇部市長。2010年マニフェスト大賞優秀賞受賞。ロックフェラー財団「環境と開発のためのリーダーシップLEAD JAPAN」フェロー。
宇部短期大学(現:宇部フロンティア大学短期大学部)非常勤講師、山口大学経営協議会委員、環境省環境カウンセラー、郵政事業有識者懇談会中国エリア委員、全国市長会副会長, 「まち・ひと・しごと創生会議」「内閣府女性活躍推進法検討会」等の政府委員を務めた。
副代表理事
久保田 后子
山口大学医学部附属看護学校を卒業して山口大学医学部附属病院に就職し、33年間勤務しました。新しい医療に接して色々と経験してきましたが退院される患者様がこのままで大丈夫だろうかなど考えながら日々をすごしていました。そんな中でストーマーの研修会、訪問看護などに興味をもち研修会に通っていました。
次第に福祉関係がひらけてまいりましたが、自分の体力の限界を感じ途中退職しました。しかし先輩の誘いでデイサービスの看護師としてパートで再就職いたしました。そして、現実の老人の姿、自分の老後について考えさせられています。
団塊世代の自分ですがよく友達と老後は、お互い出来ることを仕合ながら暮らそうねと話していました。後期高齢者に突入した今、みんなで一緒にひとつ屋根の下で暮らせるようにもう少し頑張ろうと思っています。
会計
佐野 悦子
今から半世紀以上前に看護師を目指して大学病院の付属看護学校で学んだ。多くの卒業生は、大学付属病院の看護師として就職していたが、私は大分県別府市の障がい児施設に就職した。大学病院での看護実習中に無脳児との出会が進路を決定づけた。がんなどで取り出した臓器を入れる膿盆に入れられたその無脳児の姿の中に五体満足に生まれる人間と、生まれもって障害のある子供たちのその後の人生のありようが、気になりだしたからである。夏休みなどの長期休暇中に県外の障がい児施設で実習を経験した。昭和43年に就職した施設には、サリドマイドの障害で上肢の欠損した年長児や脳性麻痺など多様な障がい児がいて、キュア(治療)ではなくケアを必要とする子供たちと生活を共にした。
結婚と同時に郷里の山口県に帰り、10数年を看護学校の教師としての経験をした。その間も治療しても後遺症や障害が残り自立した生活が困難な人の支援に関心があり、働きながら大学で福祉について学び50代で社会福祉士の資格を取得した。
1987年に「社会福祉士及び介護福祉士法」が制定し、初年度認可校の短期大学で介護福祉士養成に携わった。65歳の定年を迎えるときに退職後にしたいことが、自分が受けたい介護サービスを実践できる福祉事業所を立ち上げることであった。高齢者に融資してくれる銀行もなく苦労はしたが、善意ある人たちに支えられ、ささやかなサービス付き高齢者向け住宅(以下サ高住と略す)、居宅介護支援事業所、訪問介護事業所、通所介護事業所を開設した。資金繰りに苦労した10年であったが、この間7年間、広島国際大学で福祉人材養成の教員として働く機会に恵まれ、理論と実践を有機的に思考できる時間が得られた。
人生100年時代に生きる者として、最後までその人らしく尊厳のある看取りができないか、ふつうの生活をしながらの看取りができるように看取り士の資格を取得した。現在サ高住の中で希望される方の看取りや家族葬も葬儀屋さんと連携しながら実施している。
地域での様々な福祉事業やボランティア活動をする中で、見えてきた地域課題は、老若男女、障害のあるなし、国籍を問わずいかにして共生できる社会を作り出すかである。人生最後の仕事として仲間とともに「一般社団法人ゆうわ」を設立し、長寿時代にふさわしい地域と融和できる未来の福祉施設建設に向けて邁進している。
副代表理事
久保田 トミ子
調理担当
勝浦 正徹
デジタル担当
茄子川 導彦